clubhouseに誘われなくて体調を崩した話

 最近、体調が悪い。胃腸の機能がおかしくなり、夜も眠れない。起きている間もずっと小刻みなめまいのようなものが発生し続けている。頭にはずっと靄がかかったような重さがまとわりつき、寝不足のせいで手指の関節はキリキリと痛み続ける。

 ずっと気分がふさぎ込んでおり、思考がまとまらず、仕事も勉強もまったく手につかない。休日も全く休めない。うつ病の薬をそろそろ増やさなければならなさそうだ。

 

 体調不良の原因は、clubhouseという招待制のSNSである「らしい」。「らしい」と書いたのは、私がそのSNSについての実態を何も知らないからである。とはいえ、ここにおいて、「実態を知ることができない」ということこそが、自分にとってのそのSNSの本質なのである。不可視性・秘匿性という本質の顕現によって、私の心身は明らかに良からぬ影響を受けている。

 それは「招待されなければ共有してもらえない」という残酷さそのものである。その在り方は、例えば、大学のクラスのコンパに一人だけ呼ばれなかったというような、そういう自分の人生の中での無数の事例を彷彿とさせる。その大学は、高校時代に夢見た自分の「第一志望」であった。生来自分は「選ばれる人間」になるために努力してきたのに、行く先々で、都度、私は「選ばれなかった」のである。新卒での就活に失敗した時も、「自分は選ばれない存在だ」という確信を強化するだけであった。

 その後転職して、多少まともな環境で労働するようになってから、長い時間をかけて、思い出したくもない劣等感を必死に抑え込み続けてきた。中学の頃から10年以上ずっと開きっぱなしだった自分の傷口は、ようやく塞がれつつあるかに思えた。しかし、clubhouseという不可視な、しかし確実に存在する「選ばれた者たちによる排他的集団性」のテクノロジーがどこぞのイノベーターによって発明されることによって、私の傷口を縫合する脆い糸は一瞬で切断され、抑圧された劣等感はいとも簡単に噴出した。今日も誰かが私の代わりに選ばれている。最後の最後まで自分には「順番」が回ってこないであろうことを思うと、気が狂ってしまいそうだ。今では毎日、ベッドの中で悪夢を見ている。そして起きている間も、まるで悪夢のようなのである。

 

 数年後には、「clubhouseをやっているかどうか」が、社会的信頼を裏付けるようになるのだろう。

 

面接官「あなたの履歴書のclubhouse欄、空欄ですが…もしかしてまだ誘われてないのですか?」

自分「…」

面接官「さすがにまだ誘われていないというのはちょっと、ね…それって、『運転免許証を持っていない』みたいなものなので、少なくともうちでやっていくのは難しいかもしれませんね」

自分「…」

面接官「うちの会社以前に、まずは社会から受け入れられる努力をしてみましょう。本日はお越しいただきありがとうございました」

 

 名前しか知らないその招待制SNSが登場してから、私は激しい吐き気を催しながらずっとそのような妄想を続けているのである。