ひょんたの「葬式プレイリスト」(後半)

※前回の記事はこちら!できれば前半から読んでください

pyonta-hyonta.hatenablog.com

 実は前半の記事を書いてからすこぶる体調が悪くなり、変な夢でうなされたり、起きてからも脳の言語機能がバグっているような感覚に襲われたりしました。死という「もの自体」に気軽にアプローチしようとするべきなのではないのかもしれません。

 というわけで、後半戦を「さくっと」書いてこの企画を完結させてしまいたいと思います。あまり時間をかけるべきではないという直感もあるので…。文字数は前回の4分の3程度に抑えられていると思います。

 

【備考】

  • M0〜M11というように、「M+番号」で曲順と内容を識別する
  • 前半ではM0〜5、後半ではM6〜11を紹介する
  • 各セクションの冒頭にYoutubeまたはSpotify音源リンクを貼る
  • 各セクションの文章欄で曲を選んだ演出上の理由と意図を端的に説明する

 

 

M6:『ラストダンス』/Eve

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 さて、後半からだいぶ「ポピュラー」になっていく。この曲はプレイリストの中でも一番新しいのではないだろうか。

 言語体系・社会のルールをツールとして用いていくうちに、主体はいつの間にか体系そのものと同化していく。あれほど「外部」だった体系が、いつの間にか自分そのものとして振る舞い始める。これは言語との戦いに勝ったのか、はたまた単なる言語の乗り物へと堕してしまったのか…?

 この頃(?)になってくると、「虚無を用いて虚無をなす」「本質がないことが本質」のような、世界のナンセンスな「回し方」を覚えてきてしまう。それはおそらく、体系を内面化してしまい、かといって他に参照すべき規範もなくなってしまったからだろう。いつの間にか世の中にはだいぶ「こなれ」てきてしまったわけだが、その感覚が新鮮なのでしばらくそれに酔いしれていても良いと思う。そこで働いているのは相変わらず「存在しないものを求める」という欲望の構造である。欲は本来的に満たされることがないから、我々は同じことを繰り返しても気が狂わないのだ。

 このように躍り狂う主体というものは、側から見ると痛々しいかもしれないが、全身であらゆる動きを享受して陶酔できる特権的な時期にいるということでもある。この曲の曲調は、そのような「キレのある陶酔」を彷彿とさせるような若々しい邦ロック的ギターをそのテイストの主軸としているように思われる。

 それはまた、頭で死を思考することで死を忘却しているという逆説的な時期でもあるのだ。

 曲調のみを基準に選んだので、私はこの曲の歌詞のことを正直よくわかっていないが、以下のあたりとかはこの位置で表現したいコンセプトに近しいものがあると思う。

虚勢を張って自分を失った

虚言を吐いて幻になった

馬鹿になって宙を待って

したらもう壊れてしまいました

...(中略)...

あなたが言った本当の意を

世界の片隅で考えているわ

冷え切った嘘さえも

溶かしてやってくれるのなら

 

 

M7:『新宝島』/サカナクション

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 この曲目を見て驚かれた方も多いと思う。「葬式でサカナクションを流すの!?」と。そう、これはもともと「葬式でサカナクションを流したら流石に面白いんじゃないか」という野心から選曲したものだ。きっとダンスシーンなどが入るのだろう。棺桶を持ちながら葬儀屋が踊ったりしたら尚良いのだろうが、死んだ後のことなので詳細はわからない。

 この段階に来るとM6で見られたようなテンションの上げ方から、さらにナイーブさが失われてくる。エスニック兼レトロ風味、ミニマルな構成の洗練されたダンス・ミュージックは、一定の役割へと身を固め、職人のようにその役割を果たす主体の安定化を象徴しているかのように思われる。しかも、安定しているのに「踊って」いるという皮肉も露呈させながら。

 歌詞は曲調のイメージとほぼ合致していると思うので、説明は割愛する。

 

 

M8:『めくれたオレンジ』/東京スカパラダイスオーケストラ

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 この辺りになってくると、主体が繰り返し享受しているものの「終わり」の匂いが漂ってくる。生者の場合は「死」がそれこそそれに当たるだろう。ややおっさん臭い曲で、酒・タバコなどで薄汚れた30-40台の人間が想起されるだろうか(あえておっさん、と呼ばなかったのは、そこに含まれる男性性のステレオタイプに細やかに抵抗するためである)。その人を突き動かしているのはここでも、冷徹な自己分析に基づいた自己陶酔なのである。

 M6-7のダンス的なモチーフはやや変化し、「スカ」による「セッション」へとその音楽スタンスを変えていく。時間帯は夜かもしれないし、あるいは明け方かもしれない。

 似たような曲に岡村靖幸の『OUT OF BLUE』などがあるが、『めくれたオレンジ』の方がだいぶこなれた印象を与える。岡村靖幸の方をこの位置に持ってくるのも「アリ」かと思ったが、曲数が多くなりすぎると思ったのでプレイリストからは外した。

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 ここでも選曲時に歌詞のことはあまり考えられていないが、以下の英語部分の歌詞が少し関連しているようにも思える。相当前向きで「思考停止」を忌避するかのようなことを歌っておきながら、実態は現状維持を受け入れただ人生に酔いしれているだけのような怠惰な中年時代が目に浮かぶ(このブログを書いている時私はまだ20台中盤だが、早くもそんな雰囲気に飲まれてしまっているのではないかとすら思う)。さらにその人は「酔いしれている」ことを自覚していることにすら酔いしれてしまっているので、もう救いようがないのである。ちなみに個人的に歌詞のこの部分は、あまり「いい英語」を使っていないと思う。

Bring back your lonliness and stand up! fight again!

Drive your soul foever/ burn out your lazy days

Break out your lonliness and throw your orange peel

Don't be scared! come on! go for your Brand-new days

 

M9:『幸福な朝食 退屈な夕食』/斉藤和義

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 M8のような「から騒ぎ」を繰り返すうちに、主体はふと落ち着いてくるだろう。だんだんとエネルギーがなくなり、意味どころか運動性すら失われてくる。死者の場合はいわば肉がなくなり骨へと変化していく時期であり、生者の場合は日常の記号の量と質と内容が一定になって、全てが飽和していく時期に当たるだろう。

 自らの「頭の悪さ」への自覚はいよいよピークを迎え、何も変わらない状況と何も変えられない自分の無能さ「だけ」に主体は貫かれる。一方で主体を取り巻く環境は主体になじみすぎているので、赤子が握るボロボロの布きれのように心地よいものとして主体を包み込む。どうせこの快楽の中に我々は溺れていってしまうのだ

 前半記事を思い出してもらいたい。あれほど自分の外部にあって、理不尽に自分を切り取ってきた諸ルールが、今や自分が愛着を持って縋ってしまうところのものへと変わってしまったのだ。M4(Virtual Insanity)で見られたような、規範を批判する知性を渇望する主体は、そこには見る影もない。もう自分からこの規範を切り離すことはできない。そしてこの癒着は将来も続いていく。「今歩いているこの道は、いつか懐かしくなって」しまうのだ。

どうもご無沙汰おやすみまたねそれじゃまたねそのうちまたね

今歩いているこの道はいつか懐かしくなるだろう 

今歩いているこの道がいつか懐かしくなればいい

偶然と必然 キャッチする努力 丈夫な肉体 シワの足りない脳みそひとつ 

 

 

M10:『風よ』/藤井風

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 骨のような虚しい枠組みも「終わり」に直面して、いよいよ粉々になって風に飛ばされ、どこかへ消えていくことになる。いよいよ我々は陳腐で甘美な人生を全面的に許容する。「何らか」を「何らか」のまま、いわばブラックボックスにしたまま次世代のために挫折する。まるでそのような「絆」の発想が「素直さ」であったかのような欺瞞的な振る舞いをも自分に許しつつ。

 この曲はM9と雰囲気をガラッと変えているように見せながら、実はM9と調が同じ(多分)なのである。M9を流している最中にM10に切り替えてみるとわかるだろう。それもあって、M9の後にこの曲を接続するのが自然であると思い、選曲した。ジャズのベースに演歌的な歌唱方法が乗り、2000年代が好む情緒(特に平井堅的なところもある)も相まって、この曲の内容通り、様々な年齢層に受け入れやすいフィナーレを飾れたら良いと思っている。

全部風が連れてゆく あるべき場所へ

吹き荒れて 流れ流れ

今はもうこんなところ

飛ばされて ゆらり揺られ

ふと思う ここはどこ

 

 

M11:『天国へようこそ』/東京事変

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 カーテンコールを飾るのはまさかのM1と同じ曲。だがこの曲はM1と異なり英語で綴られており、曲調もかなり違う。や戯画性・皮肉が込められたブルース的なメロディは何を風刺し、言祝いでいるのか?

 それはおそらく、次のような皮肉と愛である。我々は死を劇化するためにこの葬儀を執り行い、わざわざ『天国へようこそ』という曲まで流した。だが結局このプレイリストは生前に考えられたものであり、生者のメタファーを使ってしか死後の世界を想像することができない。この曲はそのような有限性、すなわち「生きていること」への批判的祝福である。

 この曲を最後に流すことによって、死者になった私は「生前にこしらえた仕組み」を用いて生者を突き放す。結局自分が死ぬからには、多少後味が悪くなったとしても、生者と「縁が切れている」ことを明確化させて、きちんと二つの世界を区別しなければならない。生きている人々は、自分と縁を切ることで、それまでの11曲で表されたような人生を続けることができるのであるし、生きる者にはその責務がある。この曲を選んだのはそのような「拒絶」と「餞」の二面性を表現し、葬儀を締め括るためである。

 Youtube版はかなりライブの脚色がついているので、アルバムに収録されたSpotify版と同じものを使う予定である。

Don't talk to me
I'm gonna suck and drink your life right from you
No life in me
I've got no time for changeless things and useless things

 

 

終わりに

 以上で葬式のプレイリストの紹介を終わります。自分が死ぬときのプレイリストを作るだけで、「いざ死んだときには誰かがこれを流してくれるだろう」という安心感を得ることができました。しばらくはまだ生きているつもりですが。

 最後に、以下に今回作ったプレイリストのSpotifyリンクを貼ろうと思ったのですが、どうも実名がバレてしまうようなのでやめておきます。申し訳ありませんが、これまで貼り付けたリンクから楽しんでいただけますと幸いです。